先の絵で見る十字軍読んだ後に、塩野さんのキリスト教の見方を確認する意味で読みました。
キリスト教の勝利 塩野七生 著
塩野七生先生のローマ物語最終章。最終章の名前が「キリスト教の勝利」であるからキリスト教にある意味では同情的、ある意味ではシンパシーを感じてるのかなと思ったが、やっぱり塩野さんは塩野さんであった。筆者にとってキリスト教の勝利と言うのは、阪神ファンが巨人優勝を横目に見て「巨人の優勝」と吐き捨てる様な物であるなと。
本書では段階的にキリスト教がローマの国教となっていく状況を纏め上げたものだが、見方がその、なんだ。キリスト教嫌いなんだね的な視点で大変興味深い。
ローマがイケイケどんどん状態だった時期、ローマがローマ絶頂だった時期はそらーもーギリシャの栄光、ローマの壮大(glory that was greece and grandeur that was rome)とも称されたぐらいにローマは凄かったのである。街道は整えられるわ民主主義はあるわ水道はあるし公衆浴場まであるんだぜ。
ローマ時代はヨーロッパのオーパーツですよ。
で、別に私も親族がキリスト教徒に殺されたわけでも、キリスト教は信じちゃなんねとジーちゃんバーちゃんに遺言されたわけでもないので・・・・というか父方のばーさん札幌の女学校の出身で聖歌歌うし教義に詳しいし英語喋れたかんね。むしろキリスト教にはシンパシーとか共感を感じる部分もあるんだが(と前置きしておく)
ローマが落ちおぶれた頃って、キリスト教の影響が大きくなった来た時期と重なるんだわー。
ローマは寛容を徳として掲げた人々であり、異文化の教化の際にも「あ、お前のところのゼウスってウチのユピテルさんだから」的な感じで習合を繰り返してきた人々である。うっかり日本までローマが来てたらスサノオはユピテルに、アマテラスは何故かアポロン辺りになってスサノオが日本神話の主役に大抜擢された事は想像に難くない。
何でそんな事が出来るかというと、莫大な財力とか軍事力とか、その辺があったからだと思うんですわ。正面きっての「戦い」であらゆるものを屈服させる事が出来る各種の力が寛容の精神を生んだんじゃないかなと。
で、ローマ帝国末期にローマの国力が低下すると「余裕が無くなって来る」訳なんだけども、その結果として当時は新興宗教で胡散臭がられていたキリスト教が影響力を増してくる。新興ゆえに過激でもあった当時のキリスト教は既存勢力であるローマ神の排斥に動く。ただでさえ国力低下してるのに、散々金かけて作ってきたギリシア式の裸彫刻を打ち壊し、神殿を破壊し、図書館ぶっ壊してユピテル神に捧げるものだからといってオリンピックも停止させる。疲弊した国政の中でそんな大変革しまくったらそらーさらに国力落ちるわ。ローマはあのままでも滅んだとは思うが、滅びを加速させた責任の一端は当時のキリスト教徒にもあると思う。
言い方を変えればキリスト教徒は内部から異端の国を滅ぼしたのだ。
世の中にはローマが大好きで大好きでローマがあればご飯3杯はイケるというローママニアが数万人います(俺調べ)。ヨーロッパ人の心の奥底にはローマがふるさと的な思想も多いと聞きます。つかお前らバルバロイとしてローマを悩ましてた側の子孫だろとか思わなくも無いんですけど、それでもヨーロッパの栄光はローマやギリシャにあると考える連中がよーけおり、そらーもーローマ崇拝は大変なものな訳です。
心の奥底にローマの壮麗さを。これはヨーロッパ圏の連中にそこはかとなく漂う気配であります。
もう一つ心の奥底に隠れているものが「キリスト教」である場合には、ローマの栄華とキリスト教は多分仲良しこよしで共存できるのかもしれませんが、塩野さんは大変稀な事にキリスト教を心の奥底に持たないローマ大好き人間です。そうなるとどうなるかと言うと、ローマを滅ぼして引導渡したのはキリスト教的な視点になる訳ですね。
そんな視点で綴られた本書は、言うなれば「恨み節」である。
イケてるナイスマッチョメンだったローマちゃんが性悪女に騙されてどんどんダメになって行く!(塩野さんの心情を私が解釈した結果です)
ああ! あの性悪女、ローマちゃんが大事にしてた素晴らしいもの全部捨てさせて私だけ見てとか言ってる! 許せぬなり! しかもなんかローマちゃんあの性悪女と一緒に謎の新興宗教の集会にまで参加して・・・・・あ、あ、あ、あ・・・・職場でイカガワシイ宗教の宣伝まで始めちゃって!
ほら失職しちゃったじゃない!
なんでそこで出家して新興宗教やっちゃうの!(重ねて言うが、塩野さんの心情を私が解釈した結果です)
連綿と連なるイタリアの歴史と結婚したとも言える塩野さんである。そらーもー冷静を装っているけどジャニオタがジャニーズの若い子をどっかの尻軽タレントに盗まれたが如き勢いでキリスト教をDisるのは当然と言えましょう。
私的にもローマ以後のヨーロッパなんてのは北斗の拳で描写された世紀末も同然なんですよ。
そびえ立つ巨大なコンクリートの塔や極まりまくった流通システム、医療は死亡率を劇的に減少させて夜は星も見えぬほどの電気で照らし出される・・・・それが核の炎でアボンして、モヒカンがバイクでヒャッハーする世界に変わって種籾もったジーちゃんがモヒに襲われる・・・・
ローマの崩壊は一気に訪れた訳ではないが、最盛期の絶頂ローマと滅衰した後のローマは北斗の拳的な世紀末の様相を呈していたと思われます。政治形態だけ見ても、一時期の危機的状況以外では基本的に民主主義(ただし選挙権は最初期段階で万民に与えられていたわけではなかった)だったローマの後に何故か王権神授説の世界になるんスよ。ローマ時代の選挙や民主主義が既にオーパーツのレベルであったという事を差し置いても、そこまで劇的に変化するかなって感じですわな。
昨今ではヨーロッパの暗黒時代が言うほど暗黒では無かったって論も数多くある訳ですが、何故中世ヨーロッパは暗黒時代なのかと言うと、その直前のローマが余りにも絢爛豪華に輝いていたからで、それに比べればあの時代は全くもって暗黒だった・・・・・そんなイメージが強かったのだと思います。