ジムII S.A.N.


0083年

デラーズフリートのアレが10月勃発

アサノ隊は4月に兵站関係を後のティターンズ派閥に乗っ取られて予算がギュウギュウに締め付けられる。また、デラーズフリートの所在その他はタイタン作戦(仮)の為に秘匿されていた。

ティターンズは実の所0082年初頭から設立計画が進められており、高性能機による高いキルレートを持つ部隊で軍縮を進めつつ連邦予算を他に振り向け、そいつでウッハウッハしたい連中の為の組織であった。

アサノ隊はこれにそぐわぬ「大部隊で戦力を維持する」系列の組織であり、真っ先にタイタン作戦遂行の為に潰さねばならぬ部隊だった。戦力投射能力(遠征能力)が限定的なのもタイタン作戦チームの策動によるもの。0083春の段階で連隊規模のアサノ隊(フルアーマージムだけで50機近く保有)がフル出場すると、デラーズフリートの拠点でも潰せてしまうし。んで、実際潰してしまうと軍内での主導権握られてしまうし。

0083夏

アサノ隊はジム改やジムを近代改修してジムIIにする計画の試験や開発提言を任務としていた。同時期にジム・クゥエルが開発されている事を知ると、ジムIIをワザとデチューンして「簡単な改造で」大幅な性能向上を実現可能な仕組みを組み込む…簡単に言えば、ムーバブルフレームを最初から全身に組み込める様に装甲形状や内部フレームの一部を改装した。後々ジムやジムIIは型遅れになり、大量に破棄されるか払い下げされるだろう、その払い下げされたジムIIを低コストで戦力化する事ができれば、PMC(民間軍事会社)として食っていけるなぁ、という判断である。

まぁ、一部他部隊に見抜かれてジェネレータ出力はあっさりクゥエルを抜いてしまうのだが。(ジムIIIはこの時の改修が一部バレた為に腕などがムーバブルフレーム化されたのである)

秋。

アーカムのエージェントをティターンズ系装備開発部署に忍び込ませ、ムーバブルフレームの基礎データを奪取。開発は難航したがこのデータが後々アーマードジム系統のムーバブルフレーム化に際して重要な意味を持つことになる。デラーズフリートの件は完全に裏をかかれてアサノ隊側では何も打つ手が無い状態。この一件で連邦軍の主流派の動きが判明する。アサノ隊は最終的には飼い殺しか解体だろう。また、極めて高い確率でエリート部隊の専横が始まる。

ゴリラサービス社はこの様な経緯で設立され、MS揚陸艦「ローランド級」(MS12機の搭載と整備が可能)4隻を保有、表向きは2隻にジムII S.A.N.(ストライク アサルト ナビゲーターの略という表向きの説明があるが、アサノ隊時代からの「似てるが中身は別物だよ」という符号である)及びジムIIを24機を持つPMC(民間軍事会社)として編成された。残る2隻にはフルアーマージムやアーマードジムが搭載されており、半径100km内に「敵しかいない」場合のみ出動し、敵を殲滅する。

ジムII S.A.N.は継戦能力が重視されたジム・クゥエルと同系統の設計が施された機体である。外観上は「少なくとも、ただ立っているだけなら」ジムIIとの差異はない。

各部のフィールドモーターは全てマグネットコーティングされ、更に人工筋肉(アーマードマッスルスーツで採用されたもの)を補助動力として使用できる。イメージ的には瞬発力に優れるフィールドモーターとトルクに優れる人工筋肉。

指に関しては完全に人工筋肉に置換され、フルパワーでMSをぶん殴っても破損せず、精神感応波によるコントロールが効くので(訓練を積めば)ワイヤーを結んだりアヤトリしたりと人間と同じ動きができる。人工筋肉による関節可動は精神感応派により出力が変わる為、根性が座ったパイロットが気合一閃してモビルスーツの四肢を握れば関節部を握り潰すことや文字通り「アイアンクロー」で頭部を変形させることもできる。まるでゴリラだが、中のパイロットは正にゴリラと呼ばれた連中であった。ウッホウッホ。

核融合ジェネレータの内1つは「完全三次元金属」により生成されており、最低限の電源出力はここから供給される。完全三次元金属はある呪式により「時間という次元/概念そのものを取り除いた」物質であり、変化が一切存在しないので破壊不能というオーバーテクノロジーである。MSそのものを完全三次元金属に転換する事自体はやたら時間は掛かるが可能。しかしそうした場合敵の手に渡った際に為すすべが無くなるという理由でその様な処置はない。また、人体から時間軸を取り除くと不老不死になるのではなく「腐らない死体」になるだけらしい。生きるという事は変化する事と同義である。(一回なんかあった模様)

あと、核融合ジェネレータを構成した段階で時を除去しただけなので、ヘリウム切れたら流石に停止する。

ジェネレータ出力や各種諸元はジムIIとあまり変わらないが、以下の点で差異がある。

ユニコーン系のMSによる時間の巻き戻しに対して極めて限定的だが耐性がある。巻き戻し食らった後には機敏には動けないが。0083以降のアサノ大隊の物語は「ユニコーンガンダム以降の世界における軍事バランスの再構築」である。

結局僕らは何してるのか


過去のモデラー議論と併せてここを言語化しておこう。

ガンプラでもなんでもいいが、普通にキット組めばそれなりにカッコいいものが極めて少ない労力で完成し、それ見てニヘラニヘラ出来る昨今、もっと言えば組み立ての必要すらないロボット魂や完成品をヤフオクで買うこと、職業モデラー(制作委託請け負ってる人)に好み伝えて好みのガンプラこさえて貰うことすら可能な今、何で我々はガンプラ作ってあまつさえいじくり回してしまうのか?

一つは、作業自体が楽しいからであろう。

図は00ドリ竜作った時の製作過程だが、ドラゴン頭作ろうと思い立ち、パテ練って概形作る段階で「大丈夫大丈夫、ちゃんとドラゴンになるから…」と頭の中では考えつつも、正直これが最終の状態まで行けるか割と不安はある。一応それなりに創作を趣味として続けてる身なので根拠の無い自信はあるから、モチベーションさえ上がれば非ユークリッド幾何学的な造形でもない限り3次元空間内に存在可能な形はどんなもんでも作れはする…筈だ。

なのでお前も俺の望みのようにドラゴンになれぃっ!と気合入れて盛ったり削ったりしてると段々と理想の形に近付いていく訳なんだけど、頭の中にあった筈のものが頭の外に出てきて手で触れるのが楽しい訳だ。ただドラゴンが欲しいならリボルテックタケヤとかてあった気がするが、作る過程で段々と姿を変えていくのが楽しいのだから買うと言う選択肢はない。作り上げていく楽しみは残念ながら買えないものだからな!

この「過程が楽しい」からこそ模型を作るわけで、過程が楽しくなかったりツラツラだったら誰も模型なんぞ作らんし、超合金や完成品がバンバカ売れるだろう。実際そこらの中古屋行くとプライズのフィギュアがぎょーさん売りに出てる。作るのが楽しい勢の一人としては不思議でしゃーないのだが、過程を楽しめず「欲しいものが手元に来る」或いは「ただ単に単純かつ純粋に、それが欲しい」という人も増えてんだね。これは別に不思議なことではなく、私だって車や電動工具は自作できないから買うわけだし、たまたま私はある程度のサイズと精度のものまでなら作れるというだけで、誰にも限界はある。実は私は機材があればマザーボードのあらゆる部品を取り付けしてテストの上使用することも出来るのだが(元マザーボードメーカーの修理部在籍してて、故障箇所の特定とBGAの交換や各種半田作業ができる)

閑話休題。

何度か書いてるが、ガンプラとかの改造、特にミキシングビルドなんていうのは実際のところ「再デザイン」なのだと思う。丈が短い長いから始まって背中にボリュームが欲しいとかこの辺に赤が欲しいとかコイツは要らねえとか…既存デザインに何かの不満を持ち、気に入らないから直す訳ですね。たまーに直すレベルを逸脱してパーツをあっちゃこっちゃから引っ張り出して完全にキメラ化したブツを生み出す系の人(著名モデラーだと小林誠氏がその系統。ギーガーなんかも既存フォルムの組み合わせの中からなんか珍妙な形を作り出す系統だ)とかも居て興味深い。この辺は再デザインというより新規デザインに近い気はする。

つまり僕らはモデリングという作業を通して(その差はあれど)立体物のデザインを楽しんでいるのだ。私の定義ではこの再デザインという部分に達した者が「モデラー」であり、既存デザインで満足できる人は「組み立ての人」である。

他人の作品に関しては「作る楽しみ」部分は味わえないから、他者のデザインセンスを堪能していると言ってもいい。塗装はその中の一部でしかなく、無きゃ成立しないものでは無い。

その中で合わせ目消しだのゲート処理だの色塗りだののポイントにしか言及できない人は、トータルとしての作品評価とか出来ない…「審美眼」が無いのだと思う。どこの世界に美術室の石膏像の合わせ目気にする奴がいるのか(あれ、最近はワザと残してるらしいな!w)何故造形美に目を向けないのか不思議でしゃーない。まぁ、そういうモノを見る目が無いのであろう。残念なことだ。

例えば仮に、他者に合わせ目消しを広めて行きたいなーなんて野望を持ったとして、合わせ目消し警察になって片っ端から合わせ目消してない切符を切りまくったら皆は合わせ目を消すようになるだろうか? 私はならないと思う。ていうか、反発して合わせ目消さないでカッコいいとか追求するへそ曲がりがあちこちに出てきて逆の結果をもたらすのでは無いか?

もし私がやるのなら合わせ目消えてスゲェなだらかな面ができた!超嬉しい! 見ろこの優美な曲面を!とか浮かれまくって成層圏に達しそうな喜びっぷりを喧伝する。ゲート処理警察とか全塗装MPは人にものを勧めるやり方というモノを知らんな…人付き合い下手な子かな?

他者に影響力を行使するやり方が下手過ぎる。恐らくはその様にして周囲を、世界を変えていった経験そのものが無いのだろう。他者に影響を与える一番の方法は「楽しんで見せる」事ですよ。楽しそうにしてないのに他人が真似すると思ってんのか。つくづくバカだなぁと思う。

なんかやたらみんながミキシングビルドしたがったりしてんのは、ミキシング勢が楽しそうにキャッキャしてるからだし、ガンプラみんなが作るのはガンプラ勢が楽しそうにしてるからやで。

真面目な話、ガンプラこさえて改造するのがデザインの話だけで「作る喜び」が無い場合、デザイン作りなんてクッソ辛いんだから流行りゃせんと思うですよ? 溢れんばかりの才能が湧き出てるならいざ知らず、普通はそんな才能溢れてる人ばかりじゃ無いもの。

モデラー


看過しがたいというか、トンチキが過ぎる言説を目にした。曰く

塗装もしないくせにモデラーを名乗るな!

だ、そうな。

正直多少は英語が分かるおじさんとしては「何言ってんだコイツ?」ではてなマーク乱舞状態になってしまった。

言わば、大工の癖に電気工事もしないのか! とか内装屋の癖に造園も出来ないなんて! みたいな話なんな。

大工は大工仕事するのが仕事で電気工事は電気屋さんの仕事だし、内装屋は普通壁紙貼ったりするのが仕事で造園は造園業者とか庭師の仕事だろと。

日本の中で一部の訳わかんないキッズは「模型製作全般の作業をモデリングと解釈してる」みたいだが、Modelingだから「立体物を作ること」が原義であり、色塗りはPaintingだぞ?

これは例のエアブラシがどーこーの話とも繋がるんだが、現代社会において彫刻家が塑像に色塗ったりしないように、ブロンズ像に着色する奴がいないよーに、モデリングの中に着色要素は実の所無いのである。成る程確かに最近の調査では古代ギリシャの彫刻が極彩色に色塗られていたとか、仏像も割とキンキラキン気味に彩飾されてたなんちゅー話もあるが、ロダンもミケランジェロもダビンチも作品に色塗らねーだろ。どこの世界に色付き地獄門とか乳首が綺麗なピンク色のダビデがいると言うのか(あったら見てみたいので教えて!w)

立体物には立体物の面白さがあり、色塗らないとあかんなんて話は聞いたことがない。なんで色塗ることが「前提」になっているのか。

例えば街中に色々と彫刻とかブロンズ像あったりするが、色着いてないダッサwwwとか言う奴いたらどう思う?

控えめに申し上げて「バカかな?」だと思うんですが。

色塗りには色塗りの専門家がおり、ヒストリカルフィギュアとか兵隊さんフィギュアの方面では「ペインター」というカテゴリーが存在する。そんなに塗装に拘りたいならペインターカテゴリーに殴り込めばいーんじゃねーかと思わんでも無いが、エアブラシのベタ塗りとかアホ扱いされる世界なんで、筆塗りで極小面にグラデ入れたりするテクを磨いてから挑んで頂きたい。

例えばだが、絵描きがガンダムだけ描けて、花も木も人物画も猫も魚も描けないとしたら…一般人はその人を絵描きと認識するだろうか?

普通は絵描きとは汎用的な立体物を二次元の絵画として再構築できる奴を示す言葉であり、犬でも猫でもガンダムでもガイバーでも絵にできる奴を絵描きというのだと思うが、ガンプラ作って「モデラー」とか自称してる人の内、象や豹や我が青春のアルカディア号や猫や馬や鱒やシュモクザメを作成でき、鯱とイルカを作り分けられる奴はどれだけいるだろう?

いわさきちひろは10ヶ月の赤子と1歳の赤子を描き分けたという。可愛い猫ちゃん作れないよーな連中がガンプラ作れる程度で「モデラー」名乗るのは56億7000万年早い。どんなものでもフルスクラッチできる程度のテクを身に付けてからモデラー云々言ってくれるか。まぁ、そのクラスの人間は下々の話なんぞ歯牙にもかけないと思うが…

無塗装コンペに出してみた


ホビースナップさんの「無塗装コンペ」に参加してみた。

さて。実際のところ詳しい企画経緯などは不明だが、そも「なんで塗装するのだろう?」ちょい前にどっかのプラモ雑誌編集が初心者にエアブラシとか勧めてたが、ついぞ「では何故塗装しなければならないのか」という点については解説が無かった。

例えば、同じ立体物趣味である木彫だブロンズ像だは普通彩色しない。

最近は古代ローマの石像は色塗ってたとか言う学説もあるが、パーリンデン塗りされたミロのビーナスとか聞いたこともないであるな!

別にプラモは塗り絵ではないので塗装を「しなければならない」という法は無いはずである。立体物としてその彫刻の見事さや造形美、バランスの素晴らしさやモチーフの持つ魅力を際立たせるポージングなどを愛でてもいい。

ダビデ像ぐらい気合い入ってればだれも合わせ目だゲートだと文句はつけまいし、最低限塗装ぐらいは…などとは誰も言うまい。(まぁ、たまにガンプラ界隈は頭がどー考えてもイカれてる奴が出てくるんで、ベルニーニ作品とっ捕まえて無塗装pgrする奴居ないとも限らないが…)

私が見るに、最低限塗装とかエアブラシとか言うやつは、なんかこー狭い範囲の、極めて限定的な「モデラーとしての熟達の過程」を他者に強いてマウント取りたいだけなんでは無いかと思う。合わせ目警察やゲート処理自警団なんかと同類なんではあるまいか。

ちょっと考えてみて欲しいのだが、アニメ版権イラストって、俺らそこらの美術品やアートと別枠で見てないか? 例えばガンプラはガンプラ、乃至は「プラモデル」として見てて立体物の芸術品や工芸品として見てないよね?

まぁ、大量生産して組み立てたら同じもんになるプラモデルで美術というのも笑える話ではあるが、ミキシングビルドやフルスクラッチぐらいまでいくと現代美術のカテゴリーに踏み込めない事もないだろう。実際フィギュアとかだとニューヨークとかで企画展やる人もいるし、大英博物館でゴールデンカムイとかルーブルでJoJoとかあるにはあるんだよ。日展に何故ガンプラ作品やフィギュアが出ねぇのか(出てたりしてなw)

そして当然(?) 美術関係者からの批評はガンプラとかでは見かけない。ジムが描けていないとか、面に緊張感がないとか、内面からの輝きが手の表情に出てるとか、あの手の「門外漢から見たらなんのこっちゃ?な指摘の数々」

ありゃあ美術というフォーマットの中の共通認識とかを持たないと多分ワカンねぇ類の話なんだろうが、逆言うとそう言う世界からガンプラの世界にやって来て、我々のガンプラ見た彼らは同じように「線がだらしねえ」だの「肩の丸みが官能的」「眼差しにエロスを湛えた」「肉感的なムーバブルフレームが纏った硬質な装甲という二項対立が緊張感を云々」と訳の分からん批評をするのであろう。

「作品」の評価の仕方は様々であり、幸か不幸かガンプラ界隈のガンプラバカはガンプラ界の極めて限定的なガンプラ評価軸しか持たなかったりする。しかも審美眼とかが残念な感じなんでゲート処理とか合わせ目の有無、色の塗り分けとかはみ出し、塗装してるかしてないかみたいな「美の視点」ではなく「量産工業製品のエラーチェック」みたいな話に傾倒してしまうと。

今回おじさんはジム改作ったんだけど、モチーフ的に「アメフト選手だよね、これ」を目指してバランス調整して、あのリキリキっとした感じを出そうと苦心して見た。たまたまそれを表現する方式として寄木細工とか象嵌を使ってるだけで「塗装してるしてないは瑣末なこと」ではある。

合わせ目だゲート処理だ塗装だゆーてる奴は工場のQCエリアに戻ってお寿司がちゃんと並んでバレンが正しい位置にあるか、異物が混入してないか、車の各部ボルトが規定値で締め付けられて10万キロの走行に耐え得るかの作業に戻るんだ。

中国の女工さんが塗ったプライズのフィギュアのQCやってんじゃないから、もう少し勉強して欲しい。

それ、無能の喧伝だと思うぞ。