ガンダムビルドファイターズをより楽しく見るのに役立つかもしれないジジイのウンチク


川口名人 (メイジン・カワグチ)
モデラー集団「ストリームベース」の一員である川口克己氏。川口名人と呼ばれていた。
ストリームベースはボンボン系統/ホビージャパン系統に縁のあるモデラー集団。プラモ狂四朗にも実名で出演している。
川口名人は後にバンダイに(モデラーだった経歴隠して)入社し、ZZ時代からまんまとガンプラ開発関係に携わり、マスターグレード時代にはガンプラの企画責任者にまでなりおおせたらしい(ここは今Wikipedia見て知った)
http://prokatsu.wondernotes.jp/file007/

小澤勝三 (ヒゲの小澤さん)
恐らく何らかの形で絡んでくるのではないかと予想。プラモ狂四朗にも出演していた。故人。
元々AFVとかの畑の人と私は認識しているが、ガンプラも色々作ってたと思う。(マスターグレードシリーズのボックスアートを手掛けていたとも)
数々の伝説的モデルの作成をしているが、最も印象深い作例は「実際に炎を噴射できる火炎放射砲塔付き戦車」だと思う。
ヒゲ面が非常に印象的な方で、ヒゲの小澤さんとして知られていた。

速水仁司 (ファンドの人)
プラモ狂四朗に出てたファンドの人。海洋堂の原型師でなんでもかんでもファンドで作ってしまう。
神戸の鉄人28号モニュメントのデザインも速水氏。
その他、もしかしたら絡むかも知れない事物

* MAX渡辺
Maxファクトリー主催。TVチャンピオンに出てた人。
独自の塗装法(Max塗りなど)を広めたり、ある意味では模型作成技術の啓蒙に尽力している人であり、最新技術の導入に際して主人公たちにアドバイスを送る等の出演があるかもしれない。
伝説のガンプラ雑誌「How to Build Gundam」に一読者として作例掲載された。

* How to build Gundam
Hobby Japan別冊。超売れた伝説の別冊。これが売れまくった為にHobby Japanはアニメ系の模型が大量に掲載される雑誌に変貌した。
模型誌の別冊としては実に異例だが、再版されている。

* ガンプラの販売
良く知られている事だが、ガンダムは初回放映時にそれほど大きな反響を得ていない。
ガンプラブームもTV放映終了後半年経過後(1980年7月)に初のモデルが販売されている。
皆も知っている通り、初期の1/144ガンダムなんて足首も動かぬ稚拙なものであったのだが、これをHobby Japan系のモデラーがスケールモデル(=AFV)の作成技術で改造してブームの口火を切ると、コロコロ一強支配を打ち壊すべく創刊されたボンボン(1981年創刊)でガンプラを大きく取り扱い始める。MSVのモデルラインが実に戦車っぽいのはこの辺の影響だろう。
当時コロコロはゼロヨンQ太等のチョロQを扱ったマンガを掲載し、プラモ狂四郎と対抗していた。
元々コロコロは小学校低学年向けのネタが多く、プラモの改造などは読者層から外れていたのだ。これに対してボンボンはコロコロの読者層よりも上を狙って構成されていた。

* ハの字斬り
ザクの作例では、例外無く胸部分側面を正面から見てハの字になる様に追加工作するように指示されたものである。

* パーフェクトガンダム
プラモ狂四郎で主人公メカとして作成されたモデル。各所に最近のビルドファイターズを彷彿とさせる装備が組み込まれていたりする。
機雷の中身は乾燥させたコンパウンドだったり。
元デザインはマクロスで板野サーカス等と呼ばれるミサイル乱舞を描いた板野一郎氏。それをストリームベースの小田さんがリファインしたものがMSV版パーフェクトガンダムとフルアーマーガンダムである。

* MSV  : Mobile Suit Variation
その発生過程と盛りあがりの最初期に関してはこの辺が詳しい。 → MSV!!
ガンダム終了後にどうやってガンプラ売るかって部分に見事フィットした企画。ガンプラが好きな人間だったらみのり書房(月刊Outの版元)の「ガンダムセンチュリー」とホビージャパンの「How to build Gundam」は押さえておくべき。

* ホビージャパンの内乱
今も昔も変わりなくってゆーかゆーかゆーか。
Hobby Japan社は日本国内の「ホビー界」を牽引してきた老舗である。老舗であり大手でありある意味凄い会社で会社の経営方針と言うか社長が凄い
余りの凄さに過去二回、月刊ホビージャパンの編集者が大量離脱しており、第一回目の大流出(実際には大量引き抜きだけど)の際に流出した人々が作った模型雑誌が「モデルグラフィックス」である。
元々ガンダムのMSVはボンボンやHobby Japanが主導して作り上げて来たものなので、脱退引き抜かれ組であるモデルグラフィックス側には扱いにくかったのではなかろうか? 後にモデルグラフィックス側では独自のガンダムサイドストーリーである「ガンダムセンチネル」を立ち上げて行く。
この辺の絡みがあるので、HJ系統はMSV趣味(=ガンダムのAFV的作例)が強く、モデルグラフィックスはセンチネルの様な「やったらめったら細部が細かい」尖ったモデルの作例が多いという印象がある。
第一回内乱の際にはモデラーも結構な数モデルグラフィックス方面に流れ、その時にHJの屋台骨を支えたのがMax渡辺氏。

なお、電撃ホビーマガジンもHJの元編集が結構な数流れ込んでいるらしいが、こちらはもともとバンダイの模型誌だったB-Clubがどんどこ変形して収まる所に収まった感じ。
* 模型情報誌
元々月刊Hobby Japanも最初期はミニカー等の雑誌であった。その後色々変遷があってスケールモデル方面からガンプラに流れて・・・・という感じなのだが、やってる内に内容が変わっていくのはこの会社の常であり、Hobby Japan別冊扱いだったTacticsがRPGマガジンに変わり、その後ギャザになってしまった事を考えるとまだ雑誌名変えてないだけHobby Japanは変節していないとも言える。
1980年代中盤に存在した模型情報誌は以下の通り

ホビージャパン (ホビージャパン社)
モデルグラフィックス (大日本絵画)
B-Club (バンダイ 模型を始めとする総合ホビー誌)
デュアルマガジン (タカラ 青の騎士ベルゼルガ物語連載したりしてた。確か連載時はロニーがまだ生きてたはず)

模型情報 (バンダイ 100円の薄い冊子 ZやZZぐらいの時が最盛期か?)
3Dジャーナル (タカラ版の模型情報)
タミヤニュース (タミヤの模型情報誌 プラモのモ子ちゃんが主力連載? 薄手の模型情報誌の中では最古参)